変わらぬ味の焼飯とタンメン

いつも変わらない味の焼飯と出会える
いつも変わらない味の焼飯と出会える

早稲田にはむかしながらの食堂が残っています。20年ちかく墓参のついでによる伊勢屋さんもそんなお店です。女将さんは「来年はもういないよ」といいながら今年も元気に焼飯(やきめし)とタンメンを運んできます。この焼飯とタンメン絶品です。さっぱりしていて昭和の味。食べてももたれず飽きが来ない。毎年食べるたびに、そうだこの味だと再発見します。

お客さんは近所のひとでいつもにぎやか。おばあちゃんたちはタンメンを注文して待っているあいだ女将さんとひとしきり世間話。仕上げのあんみつをデザートに長居する人もいます。

壁には2012年に100歳で亡くなった新藤兼人監督の座右の銘だった「生きている限り生き抜きたい」の額がかかっています。女将さん80過ぎても毎日店にでて元気に座右の銘を実践しています!

クリスマスのおもちゃを下見にいったのだけれども...

ららぽーと海老名の帰りのジジと孫娘
ららぽーと海老名の帰りのジジと孫娘

大きなショッピングセンターにはなんでもあるはずです。そんな意気込みでジジとお孫さんは買い物にいってきたのでしょう。彼女の手にはトイザラスのカタログ、いっぽうジジは「ららぽーと海老名」のフロアマップを持っています。週末午後のJR相模線下りの風景。

お孫さんはカタログを指差しながら何か言っています。ららぽーと海老名には残念ながらトイザラスのようなおもちゃ屋さんはありません。でもあれだけおおきな建物ですからきっとなにかあるかもしれないと、だれもが期待します。

たしかに、ららぽーと海老名にはEBICEN oasisという幼児向けの室内遊戯施設があります。スギ材をふんだんに使った木のぬくもりあふれる遊戯施設です。幼児教育むけの玩具をあつかったコーナーもあります。小学校1年生ぐらいの女の子にとっては知育玩具はもうおもしろくないでしょう。

ジジは一生懸命トイザラスのカタログを指し示す孫娘に盛んにうなずきながら同意し、慰めているようですが、広いショッピングセンターをいっしょうけんめい歩き回ったせいでしょうか、しばらくすると居眠りしてしまいました。

 

くまモンはいつもいっしょ

くまモンのバッグ
くまモンのバッグ

くまモンとはいろんなところで遭遇します。先日ナイスなカップルを目撃したのでスケッチしながら気づきました。彼女のバッグはくまモンバッグです。黒いタイツと赤いジャケット、くまモンの赤いほっぺといいコーディネイトです。

夏休みのスタンプラリーでピカチューの袋
夏休みスタンプラリーでピカチュウの袋

こちらの少女は年齢とのバランスがとれています。ピカチュウの袋とスタンプ帳。おとうさんといっしょでしたがおとうさんは省略。まじめそうなおとうさんで、ほんとは夏休みゆっくりしていたいのでしょうけれど、娘の冒険につきあっていました。と思ったけど本当はおとうさんのほうがポケンモン夢中だったりして。。。

adidas

adidas
adidas

彼女のお気に入りのバックパックはadidasです。いつも同じ時間にあさのバス停でお目にかかっていたのですが、秋の運行時間変更になってからお会いすることはなくなってしましました。

adidasはドイツが誇る世界ブランドで、兄弟げんかで分かれてできたブランドがPumaであるのはよく知られています。おそらく彼女はブランドの物語よりもバックパックのサイズと使いやすさで選んだのでしょう。水玉の靴下とクロックス風のサンダルでマイペースです。

戦闘態勢
戦闘態勢

こちらはりりしい後姿の女子。バスの手すりをしっかりと握り締め進行方向をにらんでいます(たぶん)。背中からはこれからむかう先への緊張感がただよってきます。彼女のバックパックにもadidasのロゴです。こちらはパフォーマンスを求める乙女心がadidasブランド選択させたのかもしれません。

 

ちょいわるおやじと下北沢の守護神

チョイワルるおやじ
チョイワルるおやじ

けっこうおしゃれなおやじさんです。8月の暑い日に目撃したのですがフィールドノートにアップするのを忘れていました。なぜ彼をスケッチしたのか理由を忘れてしまいました。おそらく、とっちらかった髪の毛と太い腕から見える濃い体毛がおもしろかったのかもしれません。

下北沢の守護神
下北沢の守護神

おじさんは下北沢で目撃しましたが、こちらも下北沢の下り線で警備するおにいさんです。かれのおかげで今日も事故がなく下北沢の駅を利用することができるのですね!

青物横丁

青物横丁_炭火やきとり大空
青物横丁_炭火やきとり大空

京浜急行の青物横丁駅の近くのやきとりやさん大空。会社帰りのサラリーマンから一人晩酌のおじさんまでとっても庶民的なお店です。もちろんやきとりも新鮮でその場で丁寧に焼かれて配膳されます。仕事に帰りに偶然立ち寄りました。

青物横丁_炭火やきとり大空3若い女性店員もてきぱきと気持ちのいい接客でした。かいわいい人たちだったのでスケッチしたくて長居してしまいました。

青物横丁_炭火やきとり大空2

 

横浜ルミネ

YokohamLumine
YokohamLumine

日曜日の16時相鉄線鶴ヶ峰駅で下車した熟年夫婦。横浜ルミネの紙袋とフロアマップを持っています。ご主人は奥様の買い物のお付き合いだったのでしょう。奥さんのほうはフロアマップを見ながら楽しかった買い物の余韻に浸っているようです。

鶴ヶ峰駅の一日の乗降客数は56000人前後(2014年 wiki)。横浜や東京に通勤するひとたちのベッドタウンです。1990年代に32000人/日と乗車人数のピークを向かえ現在では27000人/日と1980年代の水準に戻ってしまっています。乗車人数と降車人数がほぼ同じ駅ということは周辺に住んできる人たちだけが利用している駅ということになります。

どこかで似たような形のグラフを見たなと思って駅周辺の地価公示価格の経年変化グラフを見てみると、思ったとおり同じような形をしています。ちょうど90年代初頭のバブルのときにピーク、その後ゆっくりと下がって現在では1980年代初頭と近い水準になっています。

この夫婦のお子さんたちもすでに成人して横浜駅周辺か、都心の交通の便のよいところに住んでいるのかもしれません。このように残された両親だけの世帯を”Empty nest”「巣立ったあとの巣」と形容することがあります。郊外の戸建てマイホーム住宅地で最近顕著にみられるようになった現象です。

 

うふふガールズ

ufufuGirl
ufufuGirl

京都大丸となりの洋食屋さんで目撃したお嬢さんとおかあさまがハヤシライスとオムライスカレーをいただいている様子です。

フィールドノートを見ると2012年11月の日付です。二人ともちょっと似た感じのアウターを着ていますので仲がよさそうです。

お嬢さんは大丸のufufugirlsの紙袋をテーブルの下においています。うふふガールズの詳細は各自でみてください。ちなみにはてなには「18~25歳前後の女性をターゲットにした、衣料品・雑貨のフロアの名称」と説明がありました。ちょうどおかあさまの財布を頼るにもいい年頃です。

 

 

 

 

三ノ輪 カラオケ優美ン(ゆうみん)

朝倉歌謡教室 夜はカラオケ道場
朝倉歌謡教室 夜はカラオケ道場

都電荒川線三ノ輪橋駅にある三ノ輪商店街は実に愛すべ商店街です。金物屋さん、お惣菜屋さん、銭湯など下町情緒満開です。それにお弁当が290円と格安なのに思わずお店やっていけるのかな?と心配してしまいます。商店街の中ほどにある「はきものマスヤ」の角を曲がると徳間ジャパンに所属する歌手の朝倉由美子さんのお店があります。

じつは朝倉由美子がどういうひとかよく知りませんが看板に魅かれて、仕事帰りに勇気を出してお店の扉を開けてみました。するとどうでしょう。90歳の山崎さんをはじめ、北区や板橋区からの平均年齢70歳のお客さんであふれかえっています。

みんなが「ちゃん」付けで呼び合ってます。舞台にはミラーボール。パリッとノリのきいたワイシャツにネクタイ姿の紳士、ドレス姿の淑女が持ち歌を披露しています。夕方6時だというのにもう満席です。それでも近所のひとがひっきりなしにやってきます。10名ほどいらした皆さんのマイクを握る雄姿をスケッチ。最後に色を塗ってお土産に差し上げました。

女将の朝倉由美子さんは実に気さくな方で扇子を片手にみなさんの歌にあわせて踊ります。似顔絵を描いたお礼にとお酒もごちそうになったりと、下町パワーフルスロットルの楽しいお店でした。ちなみに写真の女子は今晩助っ人で入ったはるこさんです。

 

侍魂とキリスト教精神

侍風の老人
侍風の老人

病院の待合室で見かけたちょんまげがよく似合う老紳士。しわをすこし少なくして描いていたらなんかいい感じの男前になってしまいました。

江戸から明治にかけての古い写真がYouTubeで出回っていますが、当時の人も現代の日本人も服装こそちがいますが雰囲気はそんなに変わらないなと思うこともあります。

ところが、以前ハワイ島の日本人移民2世のひとのレストランで食事をしたとき、そのしぐさや言葉遣いを祖父世代の古風なものに感じたことがあります。日本の社会から隔離されて影響を受けなくなるとタイムカプセルのようにその当時の空気感が身体に残るのでしょう。

昨年なくなった元日本の陸軍少尉の小野田寛郎さんが戦後29年ぶりにフィリピンのルバング島から日本に帰ってきたら、まったく違う価値観が日本全体を支配しており、マスコミは軍人をまるで犯罪者のように扱うのにいたたまれずブラジルに移民したはなしがあります。

なぜ戦前と戦後でそれほどまで価値観が変わったか?今では米国が約7年間の占領期に大規模なプロパガンダ政策(War Guild Information Program)により伝統的な価値観は破壊され贖罪意識が埋め込まれたその結果であることは広く知られるようになっています。

「侍スピリット(武士道)」とはなにかという議論をイギリス人としたことがあります。侍=戦士という図式で西欧の人は考えています。戦士=野蛮と言い換えることもできます。日本の侍は古風な戦士の形態、それは「自己犠牲」の精神を前提にしたものでありキリスト教の考えと共通するところだと話すとそのひとは「へーそうなんだ」という顔をします。