世界農業遺産 白米千枚田 石川県輪島市

千葉県鴨川市の千枚田の田植えははゴールデンウイークごろですが、こちら能登半島、石川県輪島市の千枚田、今年は5月14日(日)でした。

世界農業遺産に指定されていますが、千枚田を管理している農家は1軒だけだそうです。11年前からボランティアの手によって田植えが行われています。

田植えの前に、戦国時代、上杉謙信の軍団を村人たちが鬼姿で太鼓をたたいて撃退したという伝説でしられる、御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)の演奏が奉納されます(上の絵は前日輪島市のキリコ会館で演奏されときのスケッチです)。

一つの太鼓を5人の面をつけた男たちが激しく打ち鳴らすユニークな演奏です。

約20分の演奏の間、地元の女子高生たちがジャージに長靴すがたで待機しているようすは牧歌的です。企業や市民も参加しての田植えです。長野県の諏訪市から嫁いだというおばさんの親戚の子供たちも参加しています。

輪島市の女子中学生が早乙女に扮して、模範田植えをすると、それに続いてボランティアの人たちの田植となります。

うすいピンクのほっかむり、水色の手甲(てこう)と脚絆(きゃはん)と朱色のエプロン、早乙女姿は実によく千枚田の風景になじんでいました。

 

たたら 島根県出雲市

新宿駅西口広場は日本中の不思議な場所とつながっています。

今日は、島根県出雲市をアピールするトークショウがありました。島根県観光大使で食・旅のブロガー西村愛さんと同郷の高校のときの後輩、園山さんが出雲地方と「たたら」の魅力を語ります。

「たたら」は古代日本の製鉄所。出雲の風景は「たたらの」の文化ときってもきれないつながりがあるというお話です。

谷間に肩を寄せ合うような「たたら」の集落は風の通り道となり、鉄を溶かす溶鉱炉に必要な酸素を送りこみます。

刀の材料となる玉鋼(たまはがね)を取り出すために、森を切り開き、水路をつくり、砂鉄を含む土砂を流し原料を取り出す。切り開かれた森と水路はその後、食料を供給する棚田となったそうです。

古代出雲に住んでいたオオクニヌシの子孫たちは、出雲のクニを譲りますが、当時の最先端技術である製鉄技術と土木技術を持って日本の国土を開発してゆきます。

出雲はおそばで有名だということを今日はじめて知りました。西日本はうどん、東日本はそばと思っていたのですが、出雲が「そば文化」の起源なのでしょうか。

オオクニヌシは子だくさんの神様でもあります。土着の神様と交わりながら地域のひとびとから敬われていたのでしょう。

そば文化は東日本の痩せた土地でも食料生産を可能にします。国譲りのあと、関東地方を開拓したオオクニヌシの子孫たちのあしあとは、「そば」とオオクニヌシのお先祖様スサノオを御祭神の氷川神社として関東地方の風景に溶け込んでいます。

 

荒川区 諏訪台通り

201611_suwadai日暮里駅と西日暮里の駅の西側にある高台は諏訪神社があることから諏訪台とよばれています。尾根道の諏訪台通りにそって神社やお寺が並びます。諏訪神社は谷中、日暮里の総鎮守です。この日は七五三の着物姿の家族が数組お参りしていました。

諏訪台にある富士見坂は最近まで富士山が見える都内でも数少ない住宅街の坂の一つでしたが、ビルが建ってしまったので今では見ることができません。

そんな尾根道を西日暮里から谷中に向かって歩いてい見つけたのが、昭和の香りする朽ちたアパートです。なぜか気になったのでスケッチしました。

ボールペン1本で下町の木造家屋を精密にスケッチすることで知られる酒井不二雄(故人)さんは、現場に何日も通い作品を仕上げることで空気感が伝えられるといっています。

何日も通って作品を仕上げることはできませんが、30分ぐらいのスケッチは、わずかな時間ですが自分だけの風景を独り占めできる楽しみです。夢中で描いているとあっという間に時間が過ぎてしまします。

千葉県鴨川市太海

img_1551千葉県鴨川市太海(ふとみ)は、今では高齢者ばかりの漁村ですが、大正から昭和の洋画家安井曾太郎が「風景画を志すならば、太海にゆきなさい」といったことから洋画家たちが足ししげく通った漁村です。小学校4年生のとき1年だけ住んでいましたが、そんなことまったく知りませんでした。

豊穣の海のことを「太海」というのだそうで、旧正月には浜辺でどんど焼きが行われます。小学校のときこの祭りに参加しました。11月なると神社に小学生と中学生が集まり子供たちだけで祭りの準備がすすめられます。小生もみそっかすとして山でササを刈り取りに行かせられます。学校が終わったあとにササ刈をして浜辺に集めておき、節分の日の前日に浜辺にササをくみ上げて火をつけます。やぐらを組むのと火をつけるのはたしか大人の仕事でした。

節分にあわせてヒイラギとメザシのお飾りも子供たちだけで夜な夜な神社に集まって作ります。節分の前日には村中にこのメザシを刺したヒイラギを500円で売っておこずかいを稼ぎます。稼ぎは駄菓子屋のお菓子に消えてしまいます。今となってはふしぎな思い出です。

諏訪大社と御柱とアブラハム

201607下諏訪今年は奇祭諏訪大社の御柱(おんばしら)祭りの年です。こちらのスケッチは今年7月のもので、7年ぶりに下社春宮を参拝しました。下社春宮の御神体はイチイの木です。大きなしめ縄は出雲大社と同じです。オオクニヌシノミコトが出雲のクニを譲って諏訪にたどり着いたのですから当然です。

7年に一度、山から切り出された大木が崖を滑り下り、街の中を大勢の氏子さんたちに引っ張られて巡行する。とにかくどこから人がわいてくるのかと思うぐらいの人出になります。

御柱20160717こちらは下社秋宮の御柱。秋宮のご神体は杉の木です。20メートル近い大木が社の四隅に鎮座します。祭りのたびに亡くなるひとがいるといわれる荒っぽい祭りです。

諏訪湖の南に位置する上社のご神体は守屋(もりや)山(1,654m)というなだらかな山です。この上社の近くに代々上社の神職として奉職してきた守矢(もりや)家がありその敷地に資料館があります。上社では毎年「御頭祭」というシカの首を奉納する祭りがあります。その様子を再現したものが資料館に展示してあります。

柱と生贄と守屋山。モリヤ山、あるいはモリヤの地は旧約聖書でアブラハムがイサクを生贄に捧げた場所の名前です。モリヤはヘブライ語で「主が備えた場所」という意味です。

アブラハムは神の命令に従いイサクを生贄にしようと刃物を振りかざしたとき天使が顕れそれを止めます。アブラハムはイサクの代わりに茂みにいた雄羊を生贄にします。その後バール神に捧げる人身御供の習慣はなくなったといわれています。

恋人たちの聖地 江の島

20160626_enoshima7月になると各地で海開き山開きとなり夏本番となります。週末の江の島は恋人たちの聖地となっていました。

参道から一番近い辺津宮(へつみや)にはおしゃれな日本人のカップルに交じって台湾からのカップルや観光客が参拝にきています。台湾の人たちは、柏手がちょっとはずかしそうに小さな音でパチパチと手をあわせるのですぐにわかります。

辺津宮のご祭神はタギツヒメノミコトです。この女神さまは宗像(むなかた)三女神の一人で、航海の安全を守る海の女神です。隣に裸弁財天のお堂があります。こちらも、やたらとなまめかしい弁天様が鎮座しておじさまたちの人気のスポットになっています。

江の島は江戸時代からの観光地です。どうやら、マーケティングの上手な人たちが代々氏子さんたちのなのかにいるのかもしれません。話題作りが上手です。

 

 

沖縄のビーチでおばあたちが朝の沐浴をしています

沖縄の鎮守波上神社
沖縄の鎮守波之上(なみのえ)神社

土曜日の早朝、沖縄総鎮守、波之上(なみのえ)神社を訪れると虹がかかっていました。ハワイ島でも朝方よく虹を見ました。島の天気は気まぐれです。

海食崖の上の鎮座する神社の御祭神は女神イザナミノミコトですが、もとは琉球古神道の聖地でニライ・カナイ(異界)への祈りの場所です。

崖の中腹にある洞窟から先史時代の人骨が出ているそうです。沖縄では祈りをささげるのは巫女です。たいていはおばあです。

神社の位置するビーチは長さ150mほどの小さな入江で、今日はベタ凪、海面は鏡のように静かです。

白い砂浜で逆立ちしてヨガのポーズをとる中年男性、日課なのでしょうか自転車で来て海岸の防波堤でおしゃべりをする近所のじいさま達など思い思いに過ごしています。

しばらくすると、全身をすっぽり覆った黒い水着とオレンジの救命胴衣に麦藁帽をかぶったおばあ3人がおしゃべりしながらぞろぞろと海に入ってゆきます。胸ぐらいまでの深さのところまで3人はすすみそのまま楽しそうにおしゃべりしています。

普天満宮
普天満宮

こちらは、米軍海兵隊の普天間基地敷地のすぐ脇に鎮座する普天満宮です。ほこらの裏手には大きな鍾乳洞があります。さきほどの神社と同じイザナミノミコトが御祭神ですが、琉球古神道では日の神、ニライカナイ神(竜宮神)、グジー神(普天満女神)の3神が御祭神と由緒書きにあります。

古代の沖縄では洞窟や岩の割れ目は異界、あの世の境界地域として聖別された場所でした。その場所をニライ・カナイといいます。後に熊野権現信仰と結びつきます。

熊野権現信仰と結びついたその理由を、加治順人著「沖縄の神社」では「熊野の地はイザナミを葬った場所として知られており早くから死者の世界の入り口として信仰されていた」ことから、琉球のひとびとの民間信仰であるニライ・カナイ信仰と結びついたのだと指摘しています。

以前訪れた女神イザナミの葬られた花ノ巌谷神社とのつながりを発見した旅となりました。

 

浅草仲見世通りとスカイツリー

20160507_浅草浅草寺の仲見世通りから見上げるスカイツリーは巨大な宇宙船のようです。浅草駅から雷門まではあふれんばかりの参拝者や観光客にぶつからないように手前ばかり見てしまいます。

ところが、仲見世の途中まで来てふと目をあげると巨大なスカイツリーが眼前に迫ります。メカニカルなスカイツリーと神社の屋根のコントラストが愉快です。浅草といえば関東大震災で倒壊した12階建ての凌雲閣(りょううんかく)が有名ですが、平成になってスカイツリーがその代わりになっているかのようです。

ところで、下町のスカイツリーを見上げていると東京タワーと明らかに違う感覚です。思い出しました。この既視感はエッフェル塔をセーヌ川の川岸から見たところと似ているではありませんか!

エッフェル塔を現地で見たとき、あれっ東京タワーよりなんか立派だなと感心したものです。周辺には高い建物もなく象徴的な存在です。東京タワーは丘の上です。スカイツリーは隅田川の流れる下町低地。

丘の上の塔はシンボルというより”電波塔”といった機能性が前面に出てしまいありがたみがありません。韓国ソウルの観光名所の一つソウルタワーも同じで丘の上の電波塔といった風情です。

凌雲閣の最上階からは関八州(関東平野)が見渡せたそうですが、スカイツリーの600m以上の高さは電波塔としての役割と下町の偉大なシンボル、関東平野を見渡せる観光スポットです。

大山詣でと伊勢神宮

伊勢原大神宮とこいのぼり
伊勢原大神宮とこいのぼり

戸外でスケッチするにはとてもいい季節です。青い空、緑青(ろくしょう)の屋根とこいのぼり、新緑のクスノキのコントラストがとてもすてきな境内です。伊勢原大神宮には本家、伊勢神宮と同じ外宮と内宮のふたつのお社(やしろ)が鎮座しています。

江戸時代、大山詣での途中、この地は湧水が豊かな場所であること発見し開拓した伊勢出身人たちがその守り神として伊勢神宮の神様をお祭りしたのがはじまりだそうです。伊勢原の地名の由来となった神社ですがまったく気づきませんでした。ぶらぶらしてみるものです。

なるほど、大山街道(国道246号線)から小田急線の伊勢原駅方面に曲がってすぐの場所にあります。神社のある伊勢原駅北側は古い町で商店街もちょっとさびれています。駅の南側は大型商業施設もあり、こちらはにぎやかです。

東名高速道路を利用する人とって「伊勢原バス停付近」は渋滞のメッカとして有名です。行楽地から東京に帰るときはいつもイライラさせられますが、今日は電車ですから心配はいりません。いよいよ連休も残り2日となりました。

小田原 北条五代祭りと松原神社の例大祭と立ち飲み「鳥元」

初代看板娘(左)と二代目看板娘(右)
立ち飲み「鳥元」初代看板娘(左)と二代目看板娘(右)

連休の小田原は今年で52回目になる「北条五代祭り」でにぎやかです。戦国時代の地元のヒーローをお祭りできるのですからうらやましい限りです。5月3日が武者行列や鉄砲隊の発砲パフォーマンスがあり、小田原の商店街の居酒屋さんも観光客で込み合います。

小田原担ぎの氏子さん
中谷津地区の氏子さんたち

同じ時期小田原宿の総鎮守、松原神社の例大祭があります。「北条五代祭り」は観光祭りですが、松原神社の例大祭は伝統ある漁師のお祭りです。それぞれ別のお祭が一緒の時期に開催されますから、町はにわかに活気づきます。

地元の氏子さんたちが神輿(みこし)を担いで町内を練り歩き、店の軒先に神輿を「突っ込んで」祝福します。なるほど船頭と船子が神輿を担ぐような動作になっています。

20160504_6「突っ込む」といってもお店の前で先頭の氏子が「そりゃーえーえーっ」と掛け声をかけて神輿の舳先を店の入り口にはなむけする動作を「突っ込む」といいます。

鳥元さんで飲んでいると、次から次へと神輿が「突っ込んで」くるではありませんか!そのつど、店のご主人はおひねりを渡しています。町内には30基(子供神輿や女神輿を入れると50基)ほどの神輿があるそうです。

鳥元の店内
熟年カップルと女子友とおじさんであふれる店内

普段は地元のひとばかりなのでしょうけど、祭り中日(なかび)の今日は4坪ほどの店内は鳥打帽をかぶったおしゃれなフルムーンカップルや女子友、一人でふらっと立ち寄ったおじさんなどでいっぱいです。5月5日の最終日はすべての神輿が小田原駅に集合してクライマックスを迎えます。