奥黒部

奥黒部の山小屋 平の小屋
奥黒部の山小屋 平の小屋

夏になると北アルプスが恋しくなります。いまから7年ほど前、まだ息子が小学校4年生だったころ北アルプの針の木岳(2,821m)を一緒に登りました。父親の趣味にまだつきあってくれる年頃です。大学1年の夏に登り雪渓とカール地形と高山植物コマクサに魅了された思い出の山です。

また、針ノ木峠は戦国武将佐々成政(さっさなりまさ)が長久手の戦いで勝利した徳川家康に豊臣秀吉との徹底抗戦を進言するため厳冬期に峠越えした舞台としても知られる後立山連峰を代表する山です。

針ノ木岳の山頂から黒四ダムを見下ろすとその湖畔に平の小屋を見つけることができます。かつては越中富山と信州長野へぬけるマタギやイワナ漁師、商人が利用した山岳古道の一つでした。

今日のスケッチは黒部の谷底にある平の小屋から紺碧の空をながめている様子。まったく外界とは隔絶された別世界です。一泊してさらに黒部川の上流へと計画していましたが、湖畔でイワナ釣りや日長周囲の山をスケッチしていたらあっという間に一週間が過ぎてしまいました。

大宰府天満宮

大宰府天満宮
大宰府天満宮

天神様でおなじみの太宰府天満宮。早朝に参拝に訪れてみるとすがすがしい空気で満ちています。小学生の男の子がお父さんといっしょに日課の参拝でしょうか「おはようございます!」と見ず知らずのわたしたちにあいさつしてきます。思わず感心してしまいました。

今から40年以上前、千葉の田舎では夏休みに「テンジンコ」という行事がありました。近所の神社に小学生だけが集まって勉強をします。参加する子どもはお米を1合持参し当番の子の家に預けておくのが習わしです。

神社のとなりの小さな公民館の座敷で勉強やふざけっこをしているとお昼のサイレンが聞こえてきます。お米を預けておいた家に行くと、広間に座敷テーブルが準備してあり、そこには人数分のカレーライスが並んでいます。朝もってきたお米がカレーに変身しています。

お昼を食べた後はひたすら遊びます。夜には肝試しや花火と勉強の記憶はほとんどありません。だいぶ後になってこの「テンジンコ」といっていた行事は「天神講(てんじんこう)」であることを知ります。学問の神様にあやかっての子どもたちだけの夏の小さなお祭りです。いまでもこの行事は残っているのでしょうか?気になります。

武甲山

日本200名山の武甲山
日本200名山の武甲山

このスケッチは秩父神社のご神体、武甲山(ぶこうさん)の姿です。去年の今頃描いた絵ですが、今から35年以上前の中学生の時には油絵で描いた記憶があります。孤高の山容は絵の格好の題材です。

秩父セメントが石灰岩を採掘するので武甲山は年々低くなってゆき痛々しい限りです。日本の近代化をまさに身を削ってを支えた山です。

秩父神社を訪れてみると、なぜか若者の参拝者が目立ちます。絵馬もアニメのキャラクター。なんでも秩父神社界隈がアニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の舞台だったことからファンの人たちの聖地となってしまったそうです。

「命を吹き込む」というのがアニメの語源。ご神体である武甲山のセメントでできた都市に育った子どもたちがアニメで再発見された秩父を聖地として訪れる。うーん秩父の神々は偉大です。

 

ご来光

常念岳と雲海
常念岳と雲海

日本人はご来光が大好きです。以前イギリス人とインドネシア人の友人を連れて富士山に登ったとき、その目的が「ご来光を拝むこと」だということをだれも理解できませんでした。夜中に雨と霧のなか懐中電灯をてらしながらの富士登山、ぜんぜん楽しくありません。

9合目を過ぎ雲の上に出ると、突然満天の星空が広がり、東の空にオレンジ色の光が満ちてきます。しばらくすると雲海から朝日が静かに昇りはじめます。友人たちはその光景にしばらく呆然と見とれています。そしてなぜ富士山に登るのかその意味をなんとなく理解したようです。

このスケッチは北アルプス穂高岳山荘(長野県2983m)から常念岳をバックに朝日が昇る直前の様子を描いたものです。刻々と空の色は変化していきます。

365日毎日繰り返されているのですが山の上からの日の出はとても荘厳な気持ちになります。日本人のご来光好きが、もとは修験道などの古代の山岳信仰と太陽神アマテラス崇拝がその根っこにあるという認識は最近までまったくありませんでした。。。なるほど日本は太陽神と女神信仰の国だったんですね。

戸隠山

天の岩戸伝説の戸隠山
天の岩戸伝説の戸隠山

長野県の戸隠山は天の岩戸伝説の山です。その険しさと猛々しさは奈良のなだらかな山容の三輪山とは対照的です。奥社へ向かう巨大な杉並木の参道が静かに参拝者を見守ります。その戸隠神社の奥社から頂を望んだとき、この山の持つ神々しさを実感することができます。

背後にそびえる北アルプスに比べて決して高くはありませんがその姿は存在感があります。戸隠神社は修験道の寺と宿坊で発展し、明治以降は神仏分離により神社となるなど時代の流れで呼び名は変わりますが、古代の人々が聖別し大切にしてきた場所であることには変わりありません。

日本の神道には聖書や仏典のようなテキストがありません。どうやって太古の記憶を保存してきたのでしょうか?それは「場」であり、その「場」に住みながら毎年祭りでその記憶を伝えてゆく人々の存在が不可欠なんだなとあらためて発見した次第です。

新宿で伊豆七島

第24代ミス椿の女王
第24代ミス椿の女王

新宿のイベント広場はおじさま・おばさま好みのイベントとよく遭遇します。今日と明日(5月29日と30日)の二日間は「東京愛らんどフェア2015」で伊豆七島のおいしいものや美女と遭遇できます。

ミス椿を目撃、思わずスクープということでスケッチ。埼玉県出身の山城愛弓嬢がミス椿として大島をPR。

ところで、新島のコーナーにいた役場のお兄さんの話しだとアベノミクスで都内は外国からの観光客がワンサとやってきているの伊豆諸島への観光客の流入はそれほどでもないとのこと。

出典「伊豆諸島・小笠原諸島観光客入込実態調査報告書(平成22年) ここ10年は下げ止まり傾向
出典「伊豆諸島・小笠原諸島観光客入込実態調査報告書(平成22年) ここ10年は下げ止まり傾向

たしかに、ピーク時の昭和48年(1973年)の大島への来島者数83万人だったのが平成22年(2010年)には18万人にとこれは大変な勢いで減少しています。うーん。日本の諸島部の過疎化と観光客の減少は深刻です。