道玄坂上のバー

渋谷道玄坂上の隠れ家
渋谷道玄坂上の隠れ家

渋谷道玄坂上のバー「Bar Hasegawa Style」のカウンターに座っているとまるでテレビのバラエティーショーのようにいろんな人が出たり入ったりして眺めているだけであっという間に時間がたってしまいます。コースターに描いたイケメンは岳さんで今日は出勤日です。舞台の役者さんです。

みかんを届けてくれた
みかんを届けてくれた

岳さんの似顔絵に写っているみかんを差し入れしたのは嶋田さんです。絵のとおり気配りの人です。向かいのカウンターに座っていた黒いコートの良く似合う女性が会計をすませて帰ろうとしています。

熱血青年
熱血青年

入れ替わりに入ってきたのがちばてつやが描きそうな熱血青年です。そのすぐあとに入ってきたのは団体さんです。なにやらコンピュータのはなしをしています。大学の先輩と後輩のようです。

201512仲間
大学の先輩と後輩

そして0時近くになったら、きょうはとってもいいことがあったと幸せいっぱいの女性客が一人。遠距離恋愛している彼とひさしぶりに会ってじっくりとお話しができたのだそうです。

201512_hasesuta
しあわせなひと

数時間の滞在でしたが走馬灯のようにいろんなひとが通り過ぎてゆきました。まるでみんな昔からの知り合いだったようなそんな錯覚のする道玄坂の夜でした。

 

 

 

渋谷道玄坂にのこる昭和の風景

渋谷道玄坂の風景
渋谷道玄坂の風景

いま渋谷の駅周辺はものすごい勢いで開発されています。49年続いた東急プラザざ解体されすっかり空が広くなった渋谷道元坂界隈。なにも建物がなくなった大都市というのはなんだかとってもうれしくなってしまいます!

6台の巨大ユンボがまるで生き物のようにせっせとビルを解体し、その様子を歩道橋からめずらしそうに通行人や外国からの観光客が眺めていたのはつい先日のことです。

ところで、きょうの風景は道玄坂の飲食街にモダンなビルの谷間に忘れられたようにひっそりと立つモルタルの2階建ての家です。数年おきに店が入れ替わる変化の激しい場所ですが、なぜかこの家はそのままです。

2020年に向けて更地になった東急プラザ跡地には巨大なガラス張りのビルが立つ予定です。いまとはすっかり違った景色となっているのでしょう。この昭和がカプセルに閉じ込められたような風景はそのときまで残っているのでしょうかちょっと気になります。

千住で2番 大はし 

相席になった邦さん
相席になった邦さん

金曜日夜の北千住はとにかく人であふれています。老若男女・ガテンもサラリーマンも学生君も、その雑多感はパワー全快です。そんな北千住に仕事帰りに偶然見つけたのが「千住で2番 大はし」。

引き戸を開けてみると中はものすごい活気です。しばらく待たされてからテーブル席に通されると、ぶっきらぼうなあんちゃんがビールを持ってくるが早いか、いきなり相席です。その時のスナップがこの邦さんです。

邦さん曰く、この店はとても有名でテレビでもよく紹介されるそうです。ご本人もいつか来ようとおもいつつ一人で来るのはちょっとと思って甥っ子の大ちゃんを誘っての初来店だそうです。

相席した大ちゃん
相席した大ちゃん

名物は「煮込み」と「肉豆腐」。食べログによると、もともとお肉屋さんで創業は1877年。東京三大煮込みの店のひとつなのだそうです。

金宮(キンミヤ)焼酎のボトルが壁一面に並んでいるのでお湯割りでもとおもって注文すると、れいの無愛想なあんちゃんが小さな皿の上に冷酒グラスをのっけて持ってきます。いきなりどばどばとグラスいっぱいにキンミヤを注いだあと、カキ氷にシロップをかけるようにびちゃびちゃと梅酒をまぶしているではありませんか!

25度の焼酎をストレートで相席した邦さんと数杯飲んで、その後の記憶は…定かではありませんが、なんだかきれいなひとのスケッチが残っていました。北千住おそるべしです。

北千住の居酒屋
北千住の居酒屋

 

 

歌謡曲居酒屋・バー「涙のリクエスト」

毎日が他人と同窓会みたいな居酒屋「涙のリクエスト」
毎日が他人と同窓会みたいな居酒屋「涙のリクエスト」

ないしょでノスタルジーに浸れる場所があります。最近都内ではひそかに増えているらしい「歌謡曲バー」。小田急と相鉄線のターミナル大和駅から徒歩1分の飲み屋街にある「涙のリクエスト」もそのひとつ。70-90年代のバブル直前の歌謡曲が50インチのスクリーンで楽しめます。一昔前のジュークボックスのビデオ版みたいなお店です。

洋楽なし、演歌なし、J-POPと定義されるまえの「歌謡曲」がテーマのかなりセグメントを絞り込んだお店です。お店のなかはシングルレコードのジャケットが所狭しと張ってあります。カウンターにいる男性はX-JAPAN、アン・ルイスなどハードロック系の歌を熱心にリクエストしています。

たぶん学生時代には友達にならないようなおじさんですが、40年以上時間がたってしまうと趣味の差より共通の世代経験のほうがフレームアップされてきてしまうので不思議です。テレビがお茶の間の王様だったころのアイドルたちが荒い画素のアナログテレビ画像のなかでピチピチしてます。

大和涙のリクエスト2こちらはかんばんむすめのよっちゃんです。

PCに向かいながら「「歌謡曲」の選曲をするマスター
PCに向かいながら「「歌謡曲」の選曲をするマスターの図

マスターはひたすら客筋をみながらの選曲に余念がありません。ところで、巣鴨のとげぬき地蔵商店街には60-80歳をターゲットにしたカラオケ屋さんがあります。歌のレパートリーは戦前の流行歌、唱歌、軍歌などです。特定の世代のひとがそれなりのボリュームで訪れる場所だからできるビジネスでもあります。

 

 

 

 

変わらぬ味の焼飯とタンメン

いつも変わらない味の焼飯と出会える
いつも変わらない味の焼飯と出会える

早稲田にはむかしながらの食堂が残っています。20年ちかく墓参のついでによる伊勢屋さんもそんなお店です。女将さんは「来年はもういないよ」といいながら今年も元気に焼飯(やきめし)とタンメンを運んできます。この焼飯とタンメン絶品です。さっぱりしていて昭和の味。食べてももたれず飽きが来ない。毎年食べるたびに、そうだこの味だと再発見します。

お客さんは近所のひとでいつもにぎやか。おばあちゃんたちはタンメンを注文して待っているあいだ女将さんとひとしきり世間話。仕上げのあんみつをデザートに長居する人もいます。

壁には2012年に100歳で亡くなった新藤兼人監督の座右の銘だった「生きている限り生き抜きたい」の額がかかっています。女将さん80過ぎても毎日店にでて元気に座右の銘を実践しています!

浜松の地元のひとでにぎやかな居酒屋六文銭

地元の人でにぎわう六文銭の看板娘
地元の人でにぎわう六文銭の看板娘

2009年以来6年ぶりの浜松。JR浜松駅周辺の再開発で遠鉄百貨店はきれいになり若いひとであふれています。以前と比べて繁華街も若者が増えたように感じます。

そんな繁華街でも地元の人でにぎわっていそうな店を探してみたらありました。引き戸を開けるとカウンターで男性客が晩酌しています。テーブルには同窓会でしょうか4人テーブルの男女が学生時代の話に夢中です。入れ替わり立ち回りおなじみのお客くさんがひっきりなしです。

20151107浜松スケッチをしていると隣の席のタッチャンとマッキーさんが覗き込んできたのでお二人を描いてさしあげました。

浜松市には男の子がわくわくするようなものがたくさんあります。バイクが好きならヤマハにスズキ。音楽も盛ん。天下をとりたいなら徳川家康が出世した浜松城があり、飛行機がすきなら航空自衛隊の浜松基地でブルーインパルスが飛んでいます。ちょうど明日11月8日が航空ショー(エア・フェスタ)なので予行練習をしていました。

徳川家康 しかみ像
徳川家康 しかみ像のメモ(2009)

以前、浜松城に行ったとき家康の「しかみ像」をみてなるほど家康は努力のひとだと感心したことがあります。

31歳三方ヶ原の戦いで武田軍にコテンパンに負けて恐怖のあまり脱糞してしまった自分を戒めるために描かせといわれています。

ところが、浜松市のマスコットキャラクターは「出世大名家康くん」です。うなぎのちょんまげ、鍵盤のはかま。激しくゆるいキャラクターになってます。

ハロウィンと女装

20151102きやまさんハロウィンはやはり自我の解放のためにあるのでしょか。ハセガワスタイルのきやまさんは普段はカウンターに立ってウイスキーや日本酒をサーブしている「バーテンダー」です。

ハロウィン
ハロウィン

ところがハロウィンでは女装を楽しみます。連休の間の月曜日、早い時間にお店に訪れてみるときやまさんだけでした。カウンター越しにハロウィンのときの写真を見せてもらったので記録のためフィールドノートに書き留めておきました。手塚治の漫画にでてくる美女のようにも見えます。

20151102ゆっきー口直しに、こちらは栃木県小山出身のゆっきーさん。すぐご近所なのではしごしてしまいました。青森郷土料理のお店です。和服は筆ペンのスケッチにぴったりです。和服を着て店に出るのもコスプレの一種かもしれません。

 

渋谷 ホルモン 哲

看板娘
看板娘

渋谷駅徒歩2分の炭火焼肉ホルモン「哲」はいつもにぎわっています。知人のC氏より紹介していただいた、とってもいごこちのいい店です。ホルモンが苦手なひとでも臭みがないのでちょっと驚きです。鮮度がいいのです。

ホルモンはなぜか女性に人気です。内臓のどの部分なのか解説付きで山内さんがお肉を運んできてくれます。内臓の名前をきちんと聞くととってもグロテスクですが山内さんの解説と炭火で焼く香りで、食欲が湧いてきてしまいます。

学生時代、パキスタンのカラコルムの山岳地帯で少数民族(ワヒ族)の村を調査したことがあります。インダス河の上流にある村に二泊三日かけて氷河と岩山のトレッキング。村の人たちが道案内をしてくれます。明日は村に入るという手前の岩小屋で一泊したとき、村の人たちが歓迎会を開いてくれました。ごちそうは子羊です。

アッラーへのお祈りのあと、ちょうど台になる岩の上に子羊は押さえつけられ、ナイフで頚動脈が切られます。ぷるぷると痙攣しながらすぐにぐったりとしてしまいました。その後血抜き、毛皮を剥いで、あっという間にばらばらになり普段見慣れているお肉屋さんにあるような肉の塊になります。

さっきまでぴょんぴょんはねていた子羊が1時間もすると煮込み汁になってみなに配られました。一緒に同行した農学部の女子大生、子羊の解体を目をうるうるさせながら観ていたのですが、煮込み汁になったらうまそうにあっと言う間に平らげてしまいました。仲間の男子学生は高山病と食事が合わなくて寝込んでいたのですが女子力恐るべしです。

店長の大名さん
店長の大名さん

ところで、哲ではおまかせコースがおすすめです。まるで会席料理のようにいろんな部位の珍味が楽しめます。そして、〆のカレーライスは絶品です!

 

 

 

 

満月と新月のときがお休み

ハセガワスタイル
ハセガワスタイル

渋谷にある隠れ家Bar Hasegawa Style の愛子さんです。このお店は土日も営業していますが、満月と新月のときにお休みになるそうです。女性のリズムに合わせたシフトなのでしょうか?ちょっとユニークな経営ポリシーです。

お店に寄ったときはいらっしゃった方たちの似顔を描いて楽しませていただいています。来店したらぜひトイレものぞいてみてください。壁に小生の作品を見ることができます。

奥黒部

奥黒部の山小屋 平の小屋
奥黒部の山小屋 平の小屋

夏になると北アルプスが恋しくなります。いまから7年ほど前、まだ息子が小学校4年生だったころ北アルプの針の木岳(2,821m)を一緒に登りました。父親の趣味にまだつきあってくれる年頃です。大学1年の夏に登り雪渓とカール地形と高山植物コマクサに魅了された思い出の山です。

また、針ノ木峠は戦国武将佐々成政(さっさなりまさ)が長久手の戦いで勝利した徳川家康に豊臣秀吉との徹底抗戦を進言するため厳冬期に峠越えした舞台としても知られる後立山連峰を代表する山です。

針ノ木岳の山頂から黒四ダムを見下ろすとその湖畔に平の小屋を見つけることができます。かつては越中富山と信州長野へぬけるマタギやイワナ漁師、商人が利用した山岳古道の一つでした。

今日のスケッチは黒部の谷底にある平の小屋から紺碧の空をながめている様子。まったく外界とは隔絶された別世界です。一泊してさらに黒部川の上流へと計画していましたが、湖畔でイワナ釣りや日長周囲の山をスケッチしていたらあっという間に一週間が過ぎてしまいました。