世田谷区 二子玉川 やきとり・やきとんます屋

今日は憲法記念日。旗日です。おしゃれなショッピングのまちとして知られる二子玉川。高島屋の裏手にみつけたとっても庶民的なやきとり屋「ます屋」さん。連休中日の午後5時というのに満員です。

ショッピング帰りのおしゃれな女子友やカップル、河川敷でテニス帰りのお兄さんたち、近所のおっさんなどにぎやかです。いろんな人がごちゃごちゃしていてとても楽しい雰囲気です。

20年ほどむかしは、二子玉川の河川敷きの屋台で缶ビールやワンカップやチューハイが楽しめましたが、その屋台は今はありません。

10年ほど前には、シャンペンやワインの飲めるテント屋台がありましたがいまはありません。

残念におもっていたら、高島屋の裏手にあるではありませんか!やき鳥とやきとんの煙でモウモウのお店にブランドで着飾った若者でいっぱい。においは大丈夫かなと心配になってしまいす。

千葉県鴨川市太海

img_1551千葉県鴨川市太海(ふとみ)は、今では高齢者ばかりの漁村ですが、大正から昭和の洋画家安井曾太郎が「風景画を志すならば、太海にゆきなさい」といったことから洋画家たちが足ししげく通った漁村です。小学校4年生のとき1年だけ住んでいましたが、そんなことまったく知りませんでした。

豊穣の海のことを「太海」というのだそうで、旧正月には浜辺でどんど焼きが行われます。小学校のときこの祭りに参加しました。11月なると神社に小学生と中学生が集まり子供たちだけで祭りの準備がすすめられます。小生もみそっかすとして山でササを刈り取りに行かせられます。学校が終わったあとにササ刈をして浜辺に集めておき、節分の日の前日に浜辺にササをくみ上げて火をつけます。やぐらを組むのと火をつけるのはたしか大人の仕事でした。

節分にあわせてヒイラギとメザシのお飾りも子供たちだけで夜な夜な神社に集まって作ります。節分の前日には村中にこのメザシを刺したヒイラギを500円で売っておこずかいを稼ぎます。稼ぎは駄菓子屋のお菓子に消えてしまいます。今となってはふしぎな思い出です。

赤い傘

20160919今日は敬老の日ですが東京はあいにくの雨。今日の主役は赤い傘。女性はおまけです。都内の商店街はシルバーウイークの3日間は地元の氏神様のお祭りがそこかしこでありました。

恋人たちの聖地 江の島

20160626_enoshima7月になると各地で海開き山開きとなり夏本番となります。週末の江の島は恋人たちの聖地となっていました。

参道から一番近い辺津宮(へつみや)にはおしゃれな日本人のカップルに交じって台湾からのカップルや観光客が参拝にきています。台湾の人たちは、柏手がちょっとはずかしそうに小さな音でパチパチと手をあわせるのですぐにわかります。

辺津宮のご祭神はタギツヒメノミコトです。この女神さまは宗像(むなかた)三女神の一人で、航海の安全を守る海の女神です。隣に裸弁財天のお堂があります。こちらも、やたらとなまめかしい弁天様が鎮座しておじさまたちの人気のスポットになっています。

江の島は江戸時代からの観光地です。どうやら、マーケティングの上手な人たちが代々氏子さんたちのなのかにいるのかもしれません。話題作りが上手です。

 

 

浅草仲見世通りとスカイツリー

20160507_浅草浅草寺の仲見世通りから見上げるスカイツリーは巨大な宇宙船のようです。浅草駅から雷門まではあふれんばかりの参拝者や観光客にぶつからないように手前ばかり見てしまいます。

ところが、仲見世の途中まで来てふと目をあげると巨大なスカイツリーが眼前に迫ります。メカニカルなスカイツリーと神社の屋根のコントラストが愉快です。浅草といえば関東大震災で倒壊した12階建ての凌雲閣(りょううんかく)が有名ですが、平成になってスカイツリーがその代わりになっているかのようです。

ところで、下町のスカイツリーを見上げていると東京タワーと明らかに違う感覚です。思い出しました。この既視感はエッフェル塔をセーヌ川の川岸から見たところと似ているではありませんか!

エッフェル塔を現地で見たとき、あれっ東京タワーよりなんか立派だなと感心したものです。周辺には高い建物もなく象徴的な存在です。東京タワーは丘の上です。スカイツリーは隅田川の流れる下町低地。

丘の上の塔はシンボルというより”電波塔”といった機能性が前面に出てしまいありがたみがありません。韓国ソウルの観光名所の一つソウルタワーも同じで丘の上の電波塔といった風情です。

凌雲閣の最上階からは関八州(関東平野)が見渡せたそうですが、スカイツリーの600m以上の高さは電波塔としての役割と下町の偉大なシンボル、関東平野を見渡せる観光スポットです。

大山詣でと伊勢神宮

伊勢原大神宮とこいのぼり
伊勢原大神宮とこいのぼり

戸外でスケッチするにはとてもいい季節です。青い空、緑青(ろくしょう)の屋根とこいのぼり、新緑のクスノキのコントラストがとてもすてきな境内です。伊勢原大神宮には本家、伊勢神宮と同じ外宮と内宮のふたつのお社(やしろ)が鎮座しています。

江戸時代、大山詣での途中、この地は湧水が豊かな場所であること発見し開拓した伊勢出身人たちがその守り神として伊勢神宮の神様をお祭りしたのがはじまりだそうです。伊勢原の地名の由来となった神社ですがまったく気づきませんでした。ぶらぶらしてみるものです。

なるほど、大山街道(国道246号線)から小田急線の伊勢原駅方面に曲がってすぐの場所にあります。神社のある伊勢原駅北側は古い町で商店街もちょっとさびれています。駅の南側は大型商業施設もあり、こちらはにぎやかです。

東名高速道路を利用する人とって「伊勢原バス停付近」は渋滞のメッカとして有名です。行楽地から東京に帰るときはいつもイライラさせられますが、今日は電車ですから心配はいりません。いよいよ連休も残り2日となりました。

小田原 北条五代祭りと松原神社の例大祭と立ち飲み「鳥元」

初代看板娘(左)と二代目看板娘(右)
立ち飲み「鳥元」初代看板娘(左)と二代目看板娘(右)

連休の小田原は今年で52回目になる「北条五代祭り」でにぎやかです。戦国時代の地元のヒーローをお祭りできるのですからうらやましい限りです。5月3日が武者行列や鉄砲隊の発砲パフォーマンスがあり、小田原の商店街の居酒屋さんも観光客で込み合います。

小田原担ぎの氏子さん
中谷津地区の氏子さんたち

同じ時期小田原宿の総鎮守、松原神社の例大祭があります。「北条五代祭り」は観光祭りですが、松原神社の例大祭は伝統ある漁師のお祭りです。それぞれ別のお祭が一緒の時期に開催されますから、町はにわかに活気づきます。

地元の氏子さんたちが神輿(みこし)を担いで町内を練り歩き、店の軒先に神輿を「突っ込んで」祝福します。なるほど船頭と船子が神輿を担ぐような動作になっています。

20160504_6「突っ込む」といってもお店の前で先頭の氏子が「そりゃーえーえーっ」と掛け声をかけて神輿の舳先を店の入り口にはなむけする動作を「突っ込む」といいます。

鳥元さんで飲んでいると、次から次へと神輿が「突っ込んで」くるではありませんか!そのつど、店のご主人はおひねりを渡しています。町内には30基(子供神輿や女神輿を入れると50基)ほどの神輿があるそうです。

鳥元の店内
熟年カップルと女子友とおじさんであふれる店内

普段は地元のひとばかりなのでしょうけど、祭り中日(なかび)の今日は4坪ほどの店内は鳥打帽をかぶったおしゃれなフルムーンカップルや女子友、一人でふらっと立ち寄ったおじさんなどでいっぱいです。5月5日の最終日はすべての神輿が小田原駅に集合してクライマックスを迎えます。

なんなんだこのファッションは!?

20160430_なんなんだ今日は昭和の日です。天気の良い休日ともなると電車の社内はいろんな人が乗車しています。スケッチの男性は目の前を通ったピエロのような服装をした若者を凝視しています。

通り過ぎたピエロみたいな若者を記録しなければとおもったのですが、こちらの苦虫を噛み潰したような男性に俄然興味がわいてしまいました。

なんと険しい顔をしているのでしょう。よっぽど不愉快だったのだなと思っていると、どうもこの男性は普段からこのような顔をしているようです。景色をみても車内を見回すときも、たえずこの表情です。

もし仕事でかれのようなひとと出会ってしまったらちょっとびびっちゃいそうです。もしかしたら、かれはこの顔で重要なポストに昇り詰めているのかもしれません。にらみを利かせて何も言わなくても周りが気を使って仕事がどんどん進んでゆく様子が目に浮かびます。

怖い顔のかれひとりを画面に据えるのがあまりにもバツが悪いので、となりにマンドリンにあごを乗せている大学生の若者を追加してバランスをとりました。サッカー青年のように日に焼けているのですがマンドリンを弾いているようです。

平成27年天皇誕生日一般参賀

平成27年天皇誕生日一般参賀
平成27年天皇誕生日一般参賀

天皇誕生日の一般参賀は多少の増減はあっても増加傾向にあります。宮内庁発表では今年は昨年よりもやや少ない26,6627人でした。きょうのスケッチは10:20の第一回目のおでましを待つ様子です。

昨年よりも外国からの訪問者が増えたように感じます。台湾からの団体旅行客、フランス語やロシア語も聞こえます。タイやフィリピンからでしょうか、あるいはパラオかもしれません。南の島出身のひとたちもみかけます。

朝早く関西から大型観光バスで乗り付けたおばちゃんたちは、ほんとうに楽しそうに長い待ち時間の間ずっとおしゃべりをしています。もちろん日の丸を掲げた右翼のおじさんと愛国青年たちも邪魔にならないように一番後ろに大きなのぼりと日章旗をかかげて控えています。羽織はかまのちょんまげをした国士風紳士もいます。およそ日常生活では一緒になることがないようなひとたちと同じ空間にいるというのはなんとも不思議です。

ざわついていた広場が突然静かになり一斉に日章旗がはためきます。すると、うしろのほうから「天皇陛下万歳」の声。広場は紙の日の丸をふる音と万歳でいっぱいになります。天皇皇后両陛下と皇太子夫妻、秋篠宮ファミリーがお出ましです。新聞・テレビは伝えない現場の臨場感は独特のものです。

天皇陛下から参賀者にこたえて毎年短いお言葉があります。必ずその年の災害について触れられます。そして「冬至」についても触れられます。

冬至は日本だけでなく世界中でとても重要な日です。クリスマスの起源も冬至です。冬至を境に昼が長くなる。冬至は太陽の復活を意味します。最後に陛下は「ひとりびとりにとってきたる年がよい年でありますように」と結ばれます。わずか5分ほどの時間ですが、前と後では広場に集まったひとたちの雰囲気があきらかに違うことにおどろかされます。