春日山のひみつ-その2- 川越市名細地区

昨日の続きで、川越市名細(なぐわし)地区の謎にせまります。春日山の秘密を解くヒントは記憶の中にもありました。現在ではもう見ることのできない景色ですが35年まえ、小畔川(こあぜがわ)の河畔から中学校のある高台をみた記憶のなかの風景です。

季節は初夏でしょうか。武蔵野の雑木林と土手の境にはヒメジオンなどの白い花が群生し、関東近郊ではごく普通にみられる牧歌的な景色です。

高さ10メートル前後の小畔川の浸食でできた河岸段丘の上に中学校はありました。小高い木の茂った場所は「山」といってもよいのでしょう。おそらく地名も小畔川から見上げたこの土地の様子を名付けたのかもしれません。

段丘の下にテニスコートが見えます。たしか2面あったように記憶しています。たしか男子と女子で曜日交代で使っていました。コンクリートのローラと埃っぽい関東ロームがむきだしの赤土の校庭に水をまきながら部活動をしていました。

まだ当時は小畔川の河畔には水田が残っていましたが、現在は宅地になっています。写生大会で今日のスケッチと同じよな風景を描いたのを覚えています。大きな画用紙と画板をもって外でのスケッチは本当に楽しい時間でした。

 

 

春日山のなぞ 川越市名細(なぐわし)地区

きょうは中学校の同窓会でのフィールドワークです。川越市は東京のベッドタウンとして1970年以降急激に人口が増えました。郊外が拡大するドーナッツ化現象を体験することができる貴重なフィールドのひとつです。(以前新宿で川越出身の人たちと遭遇したときのスケッチはこちらです)

小生は小学校5年生の時に漁村の千葉の鴨川市太海からこの川越市に引っ越してきた新住民でした。新住人には田舎から郊外に引っ越してきたひとと、都心から郊外に引っ越してきた2つのグループがありました。23区から川越に引っ越してきたひとたちはいつかは都心に回帰したいといった雰囲気があったのを覚えています。

田舎から来た小生にとって高速道路(関越自動車道)に通勤電車(東武東上線)、工業団地が盛んに開発され、ドラえもんののび太君たちの遊び場のように広っぱがそこかしこにある世界はとてもエキサイティングでした。川越市内にはしっかりした模型屋さんもあり、広場でエンジン模型を飛ばす大学生のお兄さんたちなどとも出会うことができました。

ハイツと名の付く戸建て分譲住宅が畑地や水田の中に開発されニューファミリーが引っ越してきます。木造校舎が鉄筋コンクリートになり、増える人口に対応すべく校舎が新築され、仮校舎で授業を受けた記憶があります。中学校のグラウンドで夏休み理科の先生とエンジン模型の飛行機を一緒に飛ばしたこともありました。

さて、今日の本題。この名細(なぐわし)中学校の校歌には「むらさきにおう武蔵野の、春日山べの丘高く…」というなぞ歌詞があります。山といってもどこを見ても武蔵野の平野ばかりで山らしきものは見当たりません。格調高い歌詞ですし、語呂もいいのですが、なぜ中学校の校歌に「春日山」が出てくるのか35年間ずっとなぞでした。

先日ひさしぶりに会った市役所につとめるSさんによれば、中学校のある場所のむかしの住所が「大字小堤春日山14番地」だったことから「春日山」という地名が校歌に引用されたのではとのことでした。同窓会のおかげで謎が解けました!