通勤時間に下り電車に乗ると普段とは違った風景に出会います。
目の前の男性はメロンパンをゆっくりと口に運び静かに遠くを見つめて噛みしめています。荘厳な儀式を見ているようです。出勤前のひととき、電車の中でなにか覚悟でも決めたのかもしれません。
となりの女学生は単語帳を熱心に予習していました。得意な単語が今日のテスト範囲なのでしょうか、となりのおじさんと違いちょっと微笑んでいました。
日本風俗見聞録
通勤時間に下り電車に乗ると普段とは違った風景に出会います。
目の前の男性はメロンパンをゆっくりと口に運び静かに遠くを見つめて噛みしめています。荘厳な儀式を見ているようです。出勤前のひととき、電車の中でなにか覚悟でも決めたのかもしれません。
となりの女学生は単語帳を熱心に予習していました。得意な単語が今日のテスト範囲なのでしょうか、となりのおじさんと違いちょっと微笑んでいました。
このスケッチは秩父神社のご神体、武甲山(ぶこうさん)の姿です。去年の今頃描いた絵ですが、今から35年以上前の中学生の時には油絵で描いた記憶があります。孤高の山容は絵の格好の題材です。
秩父セメントが石灰岩を採掘するので武甲山は年々低くなってゆき痛々しい限りです。日本の近代化をまさに身を削ってを支えた山です。
秩父神社を訪れてみると、なぜか若者の参拝者が目立ちます。絵馬もアニメのキャラクター。なんでも秩父神社界隈がアニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の舞台だったことからファンの人たちの聖地となってしまったそうです。
「命を吹き込む」というのがアニメの語源。ご神体である武甲山のセメントでできた都市に育った子どもたちがアニメで再発見された秩父を聖地として訪れる。うーん秩父の神々は偉大です。
日本人はご来光が大好きです。以前イギリス人とインドネシア人の友人を連れて富士山に登ったとき、その目的が「ご来光を拝むこと」だということをだれも理解できませんでした。夜中に雨と霧のなか懐中電灯をてらしながらの富士登山、ぜんぜん楽しくありません。
9合目を過ぎ雲の上に出ると、突然満天の星空が広がり、東の空にオレンジ色の光が満ちてきます。しばらくすると雲海から朝日が静かに昇りはじめます。友人たちはその光景にしばらく呆然と見とれています。そしてなぜ富士山に登るのかその意味をなんとなく理解したようです。
このスケッチは北アルプス穂高岳山荘(長野県2983m)から常念岳をバックに朝日が昇る直前の様子を描いたものです。刻々と空の色は変化していきます。
365日毎日繰り返されているのですが山の上からの日の出はとても荘厳な気持ちになります。日本人のご来光好きが、もとは修験道などの古代の山岳信仰と太陽神アマテラス崇拝がその根っこにあるという認識は最近までまったくありませんでした。。。なるほど日本は太陽神と女神信仰の国だったんですね。
山の上で梅雨が明ける瞬間に遭遇したことがあります。10年ほど前の7月下旬、噴気をあげている焼岳(やけだけ)から穂高岳(ほたかだけ)を目指して雨のなか尾根を歩いていると突然目の前の霧が晴れて巨大な岩の塊が現れました。奥穂高岳(3190m)です。
梅雨前線のなまぬるい空気の塊が目の前を通り過ぎ、それまで霧で真っ白だった景色が突然晴れ渡り視界が開けます。いきなり現れた山容の神々しさにドキドキしながらスケッチしました。
水性のフェルトペンがいい感じににじんで梅雨明けの空気感をかもしだしています。じつはこの水性ペン登山道に新品の状態で落ちていたものを拝借しています。どなたか落としたのかわかりませんが、おかげさまでとても思い出深い作品となりました。
長野県の戸隠山は天の岩戸伝説の山です。その険しさと猛々しさは奈良のなだらかな山容の三輪山とは対照的です。奥社へ向かう巨大な杉並木の参道が静かに参拝者を見守ります。その戸隠神社の奥社から頂を望んだとき、この山の持つ神々しさを実感することができます。
背後にそびえる北アルプスに比べて決して高くはありませんがその姿は存在感があります。戸隠神社は修験道の寺と宿坊で発展し、明治以降は神仏分離により神社となるなど時代の流れで呼び名は変わりますが、古代の人々が聖別し大切にしてきた場所であることには変わりありません。
日本の神道には聖書や仏典のようなテキストがありません。どうやって太古の記憶を保存してきたのでしょうか?それは「場」であり、その「場」に住みながら毎年祭りでその記憶を伝えてゆく人々の存在が不可欠なんだなとあらためて発見した次第です。
奈良盆地の南東に位置する三輪山(標高461m)をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)は、地元では大神(おおかみ)さんとよばれて親しまれています。大和国の一宮、もっとも古い神社のひとつで、三輪そうめん発祥の地です。大神神社でお祭りしているのは出雲の神様、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
同じように山がご神体の神社に諏訪神社があります。御柱(おんばしら)で有名ですが、こちらは守屋山(もりやさん)がご神体です。下諏訪神社の御祭神は大国主命の子どもの建御名方神(たけみなかたのかみ)です。出雲地で国譲りの後たどり着いた場所が諏訪です。
三輪山も守屋山もどちらも、とてもなだらかな稜線の山並みが印象的です。古代の日本人が聖別した形には共通のものが感じられます。
国づくりの女神イザナミノミコトの御陵といわれる三重県の熊野市にある花窟神社(はなのいわやじんじゃ)も古い神社で、ご神体は海岸から立ち上がった数十メートルの高さの山です。大国主命のご先祖さまがイザナミノミコトノのご主人だったイザナギノミコトですからこちらの聖地のほうが古いのかもしれません。
数千年前からの自然を崇拝していた聖地が各地に残っていてその場所にゆくことができ、現在でも地元の人々によって大切されているのは実は世界でも日本独自のものです。
以前どこかで見た景色だなと思うそんな瞬間が時々あります。上の絵は近所の喫茶店でよく見かけるご婦人。土曜の朝8時ごろにいつも同じ席に座って新聞を読んでいます。
こちらはまったく別の場所の平日午後にカフェで目撃したご婦人。髪型、雰囲気が先ほどのご婦人とそっくりです。そして、読んでる新聞は同じ朝日新聞です。唯一の違いは、手に持っているドーナッツとシガレットぐらいでしょうか。
1月24日の朝、ワールドカップ予選で本田と香川がPKをはずした翌日の風景。残念でした。スポニチを読んでいるおじさんの見出しが残念観をかもしだしています。
スケッチにさりげなく時事ネタをしのばせるには新聞を一緒に描きこむと役にたちます。
以前女子高生が作った川柳に「茶髪三千丈」というのがありました。もともとは唐の時代の詩人李白の「白髪三千丈」のパロディーなのでしょうけれども、「茶髪三千丈」は「無敵の女子高生」を連想させます。
若さと馬鹿さは紙一重で、本人たちが表象している服装や態度、しぐさは彼女らの意識している以外のいろんなメッセージを周囲にまきちらしています。
なぜか冬の寒い季節に上半身と首のまわりは重武装なのにスカートで生足というのは大胆です。女子高生を持つお母さんに聞いてもなぜそのような格好をするのかわかりかねていると言っていました。なぞだらけです。
ローレライの歌にもあるように若い乙女が岩の上で髪をとかしているだけで船乗りたちは見とれて、岩にぶつかり難破してしまうのですから若さは無敵です。
こちらの絵は図書館で江戸時代終わりの絵師、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の画帳からの模写。閻魔(えんま)さまも若い娘にはかなわぬということでしょうか。
かば焼きをみなさんで食べたのでしょうか、帰りの電車の中でうなぎ屋さんのPR誌をぺらぺらとめっくているご婦人を見かけました。
たまたま、目にしたページに「うなぎより女将の声が気にかかる」という川柳、意味不明ですが、なにか意味深な歌です。
年配のかたは映画館にいっても印刷されたパンフレットを購入したり、お店においてあるPR誌を持って帰るのがすきです。