クリスマスチキンと太陽神

今年のクリスマスチキンはグレービーソースと3日もレモンを詰め込んで下ごしらえをした霧島鶏がとてもいい感じに仕上がりました。デザートの手作りジンジャーブレッドもしっとりとしてよい出来です。

日本では明日の25日を境にお正月の装いに早代わりですが、キリスト教の国々ではクリスマスツリーはお正月の門松のように新年まで飾っています。

冬至の日を境に昼間の時間がだんだんと長くなります。冬至は太陽の復活、命の再生を祝うもので古代に人々にとってはマツもモミの木も常緑樹は春(生命)を象徴するもです。クリスマスとお正月をつづけてお祝いすることになんの矛盾もありません!

ところで、冬至の日は伊勢神宮内宮(いせじんぐうないぐう)にある宇治橋の大鳥居の真ん中から朝日が昇ります(YouTubeでの映像はこちら)。伊勢神宮のご祭神はアマテラスオオミカミつまり太陽神です。

古代エジプトのファラオが建立したアブシンベル神殿も冬至の日に神殿の一番奥のラムセス二世の顔を照らすように設計されています。ラムセスとは「ラー(太陽神)から生まれしもの」という意味です。

エジプトでは古代の神殿は観光地となってしまいましたが、日本の古代からつづく聖地は観光地だけではなく神事が絶え間なく行われる生きた「場」だということは外国のひとに自慢できるおはなしです。

 

 

 

 

平成27年天皇誕生日一般参賀

平成27年天皇誕生日一般参賀
平成27年天皇誕生日一般参賀

天皇誕生日の一般参賀は多少の増減はあっても増加傾向にあります。宮内庁発表では今年は昨年よりもやや少ない26,6627人でした。きょうのスケッチは10:20の第一回目のおでましを待つ様子です。

昨年よりも外国からの訪問者が増えたように感じます。台湾からの団体旅行客、フランス語やロシア語も聞こえます。タイやフィリピンからでしょうか、あるいはパラオかもしれません。南の島出身のひとたちもみかけます。

朝早く関西から大型観光バスで乗り付けたおばちゃんたちは、ほんとうに楽しそうに長い待ち時間の間ずっとおしゃべりをしています。もちろん日の丸を掲げた右翼のおじさんと愛国青年たちも邪魔にならないように一番後ろに大きなのぼりと日章旗をかかげて控えています。羽織はかまのちょんまげをした国士風紳士もいます。およそ日常生活では一緒になることがないようなひとたちと同じ空間にいるというのはなんとも不思議です。

ざわついていた広場が突然静かになり一斉に日章旗がはためきます。すると、うしろのほうから「天皇陛下万歳」の声。広場は紙の日の丸をふる音と万歳でいっぱいになります。天皇皇后両陛下と皇太子夫妻、秋篠宮ファミリーがお出ましです。新聞・テレビは伝えない現場の臨場感は独特のものです。

天皇陛下から参賀者にこたえて毎年短いお言葉があります。必ずその年の災害について触れられます。そして「冬至」についても触れられます。

冬至は日本だけでなく世界中でとても重要な日です。クリスマスの起源も冬至です。冬至を境に昼が長くなる。冬至は太陽の復活を意味します。最後に陛下は「ひとりびとりにとってきたる年がよい年でありますように」と結ばれます。わずか5分ほどの時間ですが、前と後では広場に集まったひとたちの雰囲気があきらかに違うことにおどろかされます。

 

 

 

ハロウィンと聖者

HappyHalloween2015
HappyHalloween2015

街で見かけたコスプレ女子友。ほほにはhappy halloweenとペイントしています。二人ともおそろいのコスチュームで、一人はキラキラした猫耳をつけています。

20年前までは英語学校の児童たちや都内に住む欧米人が楽しむお祭りでしたがいつのまにかコスプレ大好きなひとたちにも伝染したみたいです。もともとケルト人の収穫を祝うお祭りだったのが、後にキリスト教のお祭りに変容してゆきます。

日本でなぜ盛んになってきたかについてwikiでは東京ディズニーランドの影響を指摘しています。

ところで、日本の伝統的な収穫祭は皇室行事のなかでもっとも大切な「新嘗際(にいなめさい)」(11月23日)です。敗戦後は皇室行事色をなくすために勤労感謝の日という名前に改められていますが、毎年勅使が伊勢神宮に遣わされています。

StBrothers2015次の日に電車に乗るとまるでイエスさまとそのお弟子さんたちのような若者を目撃しました。両脇の男性は立派なひげを生やしています。真ん中の女性はマグダラのマリヤかもしれません。スマホをいじっていました。3人ともおそらく赤の他人だと思いますがハロウィンの季節がら聖人が目の前に現れたのかなと思いました。

 

 

 

 

 

 

侍魂とキリスト教精神

侍風の老人
侍風の老人

病院の待合室で見かけたちょんまげがよく似合う老紳士。しわをすこし少なくして描いていたらなんかいい感じの男前になってしまいました。

江戸から明治にかけての古い写真がYouTubeで出回っていますが、当時の人も現代の日本人も服装こそちがいますが雰囲気はそんなに変わらないなと思うこともあります。

ところが、以前ハワイ島の日本人移民2世のひとのレストランで食事をしたとき、そのしぐさや言葉遣いを祖父世代の古風なものに感じたことがあります。日本の社会から隔離されて影響を受けなくなるとタイムカプセルのようにその当時の空気感が身体に残るのでしょう。

昨年なくなった元日本の陸軍少尉の小野田寛郎さんが戦後29年ぶりにフィリピンのルバング島から日本に帰ってきたら、まったく違う価値観が日本全体を支配しており、マスコミは軍人をまるで犯罪者のように扱うのにいたたまれずブラジルに移民したはなしがあります。

なぜ戦前と戦後でそれほどまで価値観が変わったか?今では米国が約7年間の占領期に大規模なプロパガンダ政策(War Guild Information Program)により伝統的な価値観は破壊され贖罪意識が埋め込まれたその結果であることは広く知られるようになっています。

「侍スピリット(武士道)」とはなにかという議論をイギリス人としたことがあります。侍=戦士という図式で西欧の人は考えています。戦士=野蛮と言い換えることもできます。日本の侍は古風な戦士の形態、それは「自己犠牲」の精神を前提にしたものでありキリスト教の考えと共通するところだと話すとそのひとは「へーそうなんだ」という顔をします。

outback steakhouse Ebina

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小田急線の海老名駅周辺は注目です。10月29日にららぽーと海老名がオープン。海老名の名前は東名高速道路を使う人や関東地方でAMラジオをよく聴く人にとっては週末や連休中の渋滞ポイント「海老名サービスエリア」で印象深い地名です。

奈良時代には相模国分寺が設置され江戸時代は丹沢の山岳信仰の聖地大山詣で有名の大山街道(現在の国道246号線)が整備され交通の要衝となります。

戦前は海軍の飛行場、戦後は米軍に接収され現在では米国海軍と海上自衛隊が共同運営をしている厚木飛行場が近くにあります。

写真の美女は海老名駅のショッピングセンター、ビナウォークにあるアウトバックステーキハウスのさぶちゃん。てきぱきとした接客が魅力的です。ここのアウトバックステーキのお客さんは米軍基地の家族が多いのも特徴です。

ビナウォークにはPXという名前の食品雑貨のお店があります。もともとはpost exchange の略で基地内の売店のことをいいます。松屋銀座も戦後すぐに米軍に接収されTOKYO PXといわれていました。PXの品物というと子供ころ食べたビスケットとチーズの入ったダークグリーンの缶詰がえらくまずかったのを思い出します。

山のあなた

北陸の霊峰白山
北陸の霊峰白山

「山のあなたの空遠く幸い住むと人は言う…」梅雨明け間じかになるとこのカール・ブッセの詩を思い出します。中学校のとき、夏休みのワークブックに蓼科高原の写真といっしょにこの詩が掲載されていました。

今日のスケッチは夏真っ盛りの白山(2702m)を中腹から見上げたものです。白山は山岳信仰のメッカでもあり、お花畑のみごとな北陸を代表する霊峰です。

火山の猛々しさと残雪、緑のハイマツそして入道雲のコントラストがたまりません。空と稜線の境目をえんぴつで追っかけているとその向こうにはなにか幸せがありそうな気がしてきます。

だいぶたってからカール・ブッセの詩の後半を知りました。

噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。

山の向こうには何かいいものがあるかと思ったらどうもそうではないようです。人のいったことをあてにしていたらロクなことないよということでしょう。そうはいってもやっぱり稜線の向こうにはなにかありそうです!

大宰府天満宮

大宰府天満宮
大宰府天満宮

天神様でおなじみの太宰府天満宮。早朝に参拝に訪れてみるとすがすがしい空気で満ちています。小学生の男の子がお父さんといっしょに日課の参拝でしょうか「おはようございます!」と見ず知らずのわたしたちにあいさつしてきます。思わず感心してしまいました。

今から40年以上前、千葉の田舎では夏休みに「テンジンコ」という行事がありました。近所の神社に小学生だけが集まって勉強をします。参加する子どもはお米を1合持参し当番の子の家に預けておくのが習わしです。

神社のとなりの小さな公民館の座敷で勉強やふざけっこをしているとお昼のサイレンが聞こえてきます。お米を預けておいた家に行くと、広間に座敷テーブルが準備してあり、そこには人数分のカレーライスが並んでいます。朝もってきたお米がカレーに変身しています。

お昼を食べた後はひたすら遊びます。夜には肝試しや花火と勉強の記憶はほとんどありません。だいぶ後になってこの「テンジンコ」といっていた行事は「天神講(てんじんこう)」であることを知ります。学問の神様にあやかっての子どもたちだけの夏の小さなお祭りです。いまでもこの行事は残っているのでしょうか?気になります。

武甲山

日本200名山の武甲山
日本200名山の武甲山

このスケッチは秩父神社のご神体、武甲山(ぶこうさん)の姿です。去年の今頃描いた絵ですが、今から35年以上前の中学生の時には油絵で描いた記憶があります。孤高の山容は絵の格好の題材です。

秩父セメントが石灰岩を採掘するので武甲山は年々低くなってゆき痛々しい限りです。日本の近代化をまさに身を削ってを支えた山です。

秩父神社を訪れてみると、なぜか若者の参拝者が目立ちます。絵馬もアニメのキャラクター。なんでも秩父神社界隈がアニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の舞台だったことからファンの人たちの聖地となってしまったそうです。

「命を吹き込む」というのがアニメの語源。ご神体である武甲山のセメントでできた都市に育った子どもたちがアニメで再発見された秩父を聖地として訪れる。うーん秩父の神々は偉大です。

 

ご来光

常念岳と雲海
常念岳と雲海

日本人はご来光が大好きです。以前イギリス人とインドネシア人の友人を連れて富士山に登ったとき、その目的が「ご来光を拝むこと」だということをだれも理解できませんでした。夜中に雨と霧のなか懐中電灯をてらしながらの富士登山、ぜんぜん楽しくありません。

9合目を過ぎ雲の上に出ると、突然満天の星空が広がり、東の空にオレンジ色の光が満ちてきます。しばらくすると雲海から朝日が静かに昇りはじめます。友人たちはその光景にしばらく呆然と見とれています。そしてなぜ富士山に登るのかその意味をなんとなく理解したようです。

このスケッチは北アルプス穂高岳山荘(長野県2983m)から常念岳をバックに朝日が昇る直前の様子を描いたものです。刻々と空の色は変化していきます。

365日毎日繰り返されているのですが山の上からの日の出はとても荘厳な気持ちになります。日本人のご来光好きが、もとは修験道などの古代の山岳信仰と太陽神アマテラス崇拝がその根っこにあるという認識は最近までまったくありませんでした。。。なるほど日本は太陽神と女神信仰の国だったんですね。

戸隠山

天の岩戸伝説の戸隠山
天の岩戸伝説の戸隠山

長野県の戸隠山は天の岩戸伝説の山です。その険しさと猛々しさは奈良のなだらかな山容の三輪山とは対照的です。奥社へ向かう巨大な杉並木の参道が静かに参拝者を見守ります。その戸隠神社の奥社から頂を望んだとき、この山の持つ神々しさを実感することができます。

背後にそびえる北アルプスに比べて決して高くはありませんがその姿は存在感があります。戸隠神社は修験道の寺と宿坊で発展し、明治以降は神仏分離により神社となるなど時代の流れで呼び名は変わりますが、古代の人々が聖別し大切にしてきた場所であることには変わりありません。

日本の神道には聖書や仏典のようなテキストがありません。どうやって太古の記憶を保存してきたのでしょうか?それは「場」であり、その「場」に住みながら毎年祭りでその記憶を伝えてゆく人々の存在が不可欠なんだなとあらためて発見した次第です。