渋谷道玄坂にのこる昭和の風景

渋谷道玄坂の風景
渋谷道玄坂の風景

いま渋谷の駅周辺はものすごい勢いで開発されています。49年続いた東急プラザざ解体されすっかり空が広くなった渋谷道元坂界隈。なにも建物がなくなった大都市というのはなんだかとってもうれしくなってしまいます!

6台の巨大ユンボがまるで生き物のようにせっせとビルを解体し、その様子を歩道橋からめずらしそうに通行人や外国からの観光客が眺めていたのはつい先日のことです。

ところで、きょうの風景は道玄坂の飲食街にモダンなビルの谷間に忘れられたようにひっそりと立つモルタルの2階建ての家です。数年おきに店が入れ替わる変化の激しい場所ですが、なぜかこの家はそのままです。

2020年に向けて更地になった東急プラザ跡地には巨大なガラス張りのビルが立つ予定です。いまとはすっかり違った景色となっているのでしょう。この昭和がカプセルに閉じ込められたような風景はそのときまで残っているのでしょうかちょっと気になります。

千住で2番 大はし 

相席になった邦さん
相席になった邦さん

金曜日夜の北千住はとにかく人であふれています。老若男女・ガテンもサラリーマンも学生君も、その雑多感はパワー全快です。そんな北千住に仕事帰りに偶然見つけたのが「千住で2番 大はし」。

引き戸を開けてみると中はものすごい活気です。しばらく待たされてからテーブル席に通されると、ぶっきらぼうなあんちゃんがビールを持ってくるが早いか、いきなり相席です。その時のスナップがこの邦さんです。

邦さん曰く、この店はとても有名でテレビでもよく紹介されるそうです。ご本人もいつか来ようとおもいつつ一人で来るのはちょっとと思って甥っ子の大ちゃんを誘っての初来店だそうです。

相席した大ちゃん
相席した大ちゃん

名物は「煮込み」と「肉豆腐」。食べログによると、もともとお肉屋さんで創業は1877年。東京三大煮込みの店のひとつなのだそうです。

金宮(キンミヤ)焼酎のボトルが壁一面に並んでいるのでお湯割りでもとおもって注文すると、れいの無愛想なあんちゃんが小さな皿の上に冷酒グラスをのっけて持ってきます。いきなりどばどばとグラスいっぱいにキンミヤを注いだあと、カキ氷にシロップをかけるようにびちゃびちゃと梅酒をまぶしているではありませんか!

25度の焼酎をストレートで相席した邦さんと数杯飲んで、その後の記憶は…定かではありませんが、なんだかきれいなひとのスケッチが残っていました。北千住おそるべしです。

北千住の居酒屋
北千住の居酒屋

 

 

歌謡曲居酒屋・バー「涙のリクエスト」

毎日が他人と同窓会みたいな居酒屋「涙のリクエスト」
毎日が他人と同窓会みたいな居酒屋「涙のリクエスト」

ないしょでノスタルジーに浸れる場所があります。最近都内ではひそかに増えているらしい「歌謡曲バー」。小田急と相鉄線のターミナル大和駅から徒歩1分の飲み屋街にある「涙のリクエスト」もそのひとつ。70-90年代のバブル直前の歌謡曲が50インチのスクリーンで楽しめます。一昔前のジュークボックスのビデオ版みたいなお店です。

洋楽なし、演歌なし、J-POPと定義されるまえの「歌謡曲」がテーマのかなりセグメントを絞り込んだお店です。お店のなかはシングルレコードのジャケットが所狭しと張ってあります。カウンターにいる男性はX-JAPAN、アン・ルイスなどハードロック系の歌を熱心にリクエストしています。

たぶん学生時代には友達にならないようなおじさんですが、40年以上時間がたってしまうと趣味の差より共通の世代経験のほうがフレームアップされてきてしまうので不思議です。テレビがお茶の間の王様だったころのアイドルたちが荒い画素のアナログテレビ画像のなかでピチピチしてます。

大和涙のリクエスト2こちらはかんばんむすめのよっちゃんです。

PCに向かいながら「「歌謡曲」の選曲をするマスター
PCに向かいながら「「歌謡曲」の選曲をするマスターの図

マスターはひたすら客筋をみながらの選曲に余念がありません。ところで、巣鴨のとげぬき地蔵商店街には60-80歳をターゲットにしたカラオケ屋さんがあります。歌のレパートリーは戦前の流行歌、唱歌、軍歌などです。特定の世代のひとがそれなりのボリュームで訪れる場所だからできるビジネスでもあります。

 

 

 

 

変わらぬ味の焼飯とタンメン

いつも変わらない味の焼飯と出会える
いつも変わらない味の焼飯と出会える

早稲田にはむかしながらの食堂が残っています。20年ちかく墓参のついでによる伊勢屋さんもそんなお店です。女将さんは「来年はもういないよ」といいながら今年も元気に焼飯(やきめし)とタンメンを運んできます。この焼飯とタンメン絶品です。さっぱりしていて昭和の味。食べてももたれず飽きが来ない。毎年食べるたびに、そうだこの味だと再発見します。

お客さんは近所のひとでいつもにぎやか。おばあちゃんたちはタンメンを注文して待っているあいだ女将さんとひとしきり世間話。仕上げのあんみつをデザートに長居する人もいます。

壁には2012年に100歳で亡くなった新藤兼人監督の座右の銘だった「生きている限り生き抜きたい」の額がかかっています。女将さん80過ぎても毎日店にでて元気に座右の銘を実践しています!

不思議な空間が広がる自由が丘デパート

自由が丘デパート内のバー白搭
自由が丘デパート内のバー白搭

自由が丘にはふしぎな場所がたくさんあります。そのひとつが駅前の自由が丘デパート。昭和23年にできた建物は低い天井、3坪から10坪ぐらいの間取りの約100テナントがひしめいています。どこか秋葉原のラジオデパートと雰囲気がにています。これまでなんどか自由が丘に来たことがあるのに、しかも駅前なのにまったく気づきませんでした。

地下1階と地上1階がファッション雑貨、2階がレストラン、3階がレストラン・パブ・スナックなどバラエティーに富んだ不思議な空間がひろがります。

そのなかの1軒「白搭」の扉をあけてみると昭和の香り漂う世界です。昭和41年(1966)年から49年の歴史があり谷啓に似た愉快なマスターが出迎えてくれます。

谷啓似のマスター
谷啓似のマスター

お客さんも地元のおなじみさんです。19:00ぐらいに来店した秘書を連れた「会長さん」。自由が丘でも有名な行列のできるおBAKEのチーズタルトをお店の女の子にお土産です。なぜか小生もごちそうになったので御礼にスケッチをさしあげました。ビールとチーズタルト、食べてみるといい感じに合いました。ちょっと驚きです。

タルトをごちそうになった会長さん
タルトをごちそうになった会長さん

 

 

 

 

浜松の地元のひとでにぎやかな居酒屋六文銭

地元の人でにぎわう六文銭の看板娘
地元の人でにぎわう六文銭の看板娘

2009年以来6年ぶりの浜松。JR浜松駅周辺の再開発で遠鉄百貨店はきれいになり若いひとであふれています。以前と比べて繁華街も若者が増えたように感じます。

そんな繁華街でも地元の人でにぎわっていそうな店を探してみたらありました。引き戸を開けるとカウンターで男性客が晩酌しています。テーブルには同窓会でしょうか4人テーブルの男女が学生時代の話に夢中です。入れ替わり立ち回りおなじみのお客くさんがひっきりなしです。

20151107浜松スケッチをしていると隣の席のタッチャンとマッキーさんが覗き込んできたのでお二人を描いてさしあげました。

浜松市には男の子がわくわくするようなものがたくさんあります。バイクが好きならヤマハにスズキ。音楽も盛ん。天下をとりたいなら徳川家康が出世した浜松城があり、飛行機がすきなら航空自衛隊の浜松基地でブルーインパルスが飛んでいます。ちょうど明日11月8日が航空ショー(エア・フェスタ)なので予行練習をしていました。

徳川家康 しかみ像
徳川家康 しかみ像のメモ(2009)

以前、浜松城に行ったとき家康の「しかみ像」をみてなるほど家康は努力のひとだと感心したことがあります。

31歳三方ヶ原の戦いで武田軍にコテンパンに負けて恐怖のあまり脱糞してしまった自分を戒めるために描かせといわれています。

ところが、浜松市のマスコットキャラクターは「出世大名家康くん」です。うなぎのちょんまげ、鍵盤のはかま。激しくゆるいキャラクターになってます。

青物横丁 その2

お父さんはビール片手にいねむり
お父さんはビール片手にいねむり

先日は京浜急行青物横丁を探検したので、青物横丁ネタをもうひとつ。

ことしの5月4日みどりの日に目撃したおじさんとおじょうさんです。赤の他人ですがとってもなじんでいます。おじさんはビールの缶をにぎりしめて11時ごろなのにすやすや寝ています。

となりのむすめさんはゴムバンドをいじっています。おあかさんとおねえちゃんが隣にすわっていたのですが省略です。

休日におかあさんの用事につき合わされているのが不満なのでしょうかしきりにゴムバンドをいじっています。でも青物横丁に停車するとおかあさんとおねえちゃんのあとについて素直に降りてゆきました。

 

青物横丁

青物横丁_炭火やきとり大空
青物横丁_炭火やきとり大空

京浜急行の青物横丁駅の近くのやきとりやさん大空。会社帰りのサラリーマンから一人晩酌のおじさんまでとっても庶民的なお店です。もちろんやきとりも新鮮でその場で丁寧に焼かれて配膳されます。仕事に帰りに偶然立ち寄りました。

青物横丁_炭火やきとり大空3若い女性店員もてきぱきと気持ちのいい接客でした。かいわいい人たちだったのでスケッチしたくて長居してしまいました。

青物横丁_炭火やきとり大空2

 

横浜ルミネ

YokohamLumine
YokohamLumine

日曜日の16時相鉄線鶴ヶ峰駅で下車した熟年夫婦。横浜ルミネの紙袋とフロアマップを持っています。ご主人は奥様の買い物のお付き合いだったのでしょう。奥さんのほうはフロアマップを見ながら楽しかった買い物の余韻に浸っているようです。

鶴ヶ峰駅の一日の乗降客数は56000人前後(2014年 wiki)。横浜や東京に通勤するひとたちのベッドタウンです。1990年代に32000人/日と乗車人数のピークを向かえ現在では27000人/日と1980年代の水準に戻ってしまっています。乗車人数と降車人数がほぼ同じ駅ということは周辺に住んできる人たちだけが利用している駅ということになります。

どこかで似たような形のグラフを見たなと思って駅周辺の地価公示価格の経年変化グラフを見てみると、思ったとおり同じような形をしています。ちょうど90年代初頭のバブルのときにピーク、その後ゆっくりと下がって現在では1980年代初頭と近い水準になっています。

この夫婦のお子さんたちもすでに成人して横浜駅周辺か、都心の交通の便のよいところに住んでいるのかもしれません。このように残された両親だけの世帯を”Empty nest”「巣立ったあとの巣」と形容することがあります。郊外の戸建てマイホーム住宅地で最近顕著にみられるようになった現象です。

 

読書をする女子

神田神保町
神田神保町

神田神保町は本とカフェと楽器の街です。カフェを併設する書店も増えました。そんな書店のカフェで読書に浸る女子を目撃することがあります。

また、最近の大型商業施設や大型書店もカフェを併設するところが増えています。本屋街をぶらぶらし、ついつい買ってしまった本の真新しいページを近くのカフェに入ってめくるのはわくわくします。

ところが、家に帰ってしまうとなにか魔法からさめたように買ってきた本への情熱がさめてしまうのはなぜでしょうか。カフェインと本は愛称が良いようです。