浜松の地元のひとでにぎやかな居酒屋六文銭

地元の人でにぎわう六文銭の看板娘
地元の人でにぎわう六文銭の看板娘

2009年以来6年ぶりの浜松。JR浜松駅周辺の再開発で遠鉄百貨店はきれいになり若いひとであふれています。以前と比べて繁華街も若者が増えたように感じます。

そんな繁華街でも地元の人でにぎわっていそうな店を探してみたらありました。引き戸を開けるとカウンターで男性客が晩酌しています。テーブルには同窓会でしょうか4人テーブルの男女が学生時代の話に夢中です。入れ替わり立ち回りおなじみのお客くさんがひっきりなしです。

20151107浜松スケッチをしていると隣の席のタッチャンとマッキーさんが覗き込んできたのでお二人を描いてさしあげました。

浜松市には男の子がわくわくするようなものがたくさんあります。バイクが好きならヤマハにスズキ。音楽も盛ん。天下をとりたいなら徳川家康が出世した浜松城があり、飛行機がすきなら航空自衛隊の浜松基地でブルーインパルスが飛んでいます。ちょうど明日11月8日が航空ショー(エア・フェスタ)なので予行練習をしていました。

徳川家康 しかみ像
徳川家康 しかみ像のメモ(2009)

以前、浜松城に行ったとき家康の「しかみ像」をみてなるほど家康は努力のひとだと感心したことがあります。

31歳三方ヶ原の戦いで武田軍にコテンパンに負けて恐怖のあまり脱糞してしまった自分を戒めるために描かせといわれています。

ところが、浜松市のマスコットキャラクターは「出世大名家康くん」です。うなぎのちょんまげ、鍵盤のはかま。激しくゆるいキャラクターになってます。

おさるのチャッキー

おさるのチャッキー
さるまわしに熱中するヤンママ

おさるのチャッキーは人気者です。日光サル軍団の若手のメスザルです。今日は小山遊園地跡地のショッピングセンター・ハーベストウォークの広場で熱心に芸を披露しています。30人ほどの観客です。演技も観客の目の前でけっこう迫力あります。

おさるのチャッキーをスケッチしようと思ってしばらく様子をみていると、おさるより見ているヤンママたちのほうが面白いのでそっちを描きました。

ベビーカーの乳児たちはまったく反応していないのに、おかあさんたちには大うけでした。さるまわしのお兄さんのギャグはちょっと難しかったみたいです。

 

街道の蕎麦屋

武蔵五日市 そば屋魚鶴
武蔵五日市 そば屋魚鶴

JR武蔵五日市線の終点は秋川渓谷の町です。街道沿いの商店街は歩いて10分ぐらいで通り過ぎてしまいますが、そば屋にすし屋、八百屋、洋品店、靴屋、おもちゃ屋さんなどなんでもあります。小学生が社会科の授業でこの町の地図をつくったら生活に必要なお店を1日ですべて描き込むことができるくらいのサイズです。

駅から歩いて5分の秋川渓谷は清流と釣りが気軽に楽しめる素敵な場所です。またバスにのれば奥武蔵の低山ハイクや温泉が楽しめます。

写真のおばちゃんは武蔵五日市街道沿いのそば屋の女将さんで今年80歳になるとか。元気に毎日お店に立っています。週末のお昼時は結構みせは込みます。

武蔵五日市隣には障害者の集まりに参加してきたという車椅子の女子と付き添いのおばさんが同席したので一枚描いてさしあげました。この絵を描いていたら女将さんがわたしも描いて!というリクエストをいただき上の作品ができた次第です。

舞台女優と特攻隊

女優 石神悠紀
女優 石神悠紀さん

写真の美女は女優さんです。知り合いの方から紹介してもらったバー(Bar Hsegawa Style)のカウンターで遭遇しました。

彼女は10月7日-12日は『MOTHER~特攻の母 鳥濱トメ物語~』で特攻隊の妻役として出演しています。鹿児島県にあった陸軍航空隊の基地(知覧:ちらん)にあった実話をもとにした舞台です。彼女も知覧を数回訪れたことがあるそうです。

小生も知覧にいったことがあります。かつての基地は知覧特攻平和会館と公園として整備されています。そこへと向かう緩やかな坂道を車で上ってゆくと航空服の若者の胸像が刻まれた灯篭がずっと続きます。

これから自分たちが訪問しようとしているところは観光地や博物館などではなく鎮魂と慰霊の場所であることを悟ります。

会館の入り口には天女に抱えられ燃える隼戦闘機から昇天する若いパイロットの壁画が眼に入ります。そして、多くの若い女性と親子連れで館内はしずかな熱気で満ちています。その光景はとても衝撃的です。

会館の敷地内には小さな護国神社がありボランティアの青年たちが掃き清めていました。現在、知覧に展示されている遺書などをユネスコの世界記憶遺産に登録するための活動がすすめられているそうです。

ちい散歩

御岳神社参道のそば屋
御岳神社参道のそば屋

東京都にも山岳信仰のメッカがあります。御岳山(みたけさん:929m)はケーブルカーもあって手軽に低山ハイキングが楽しめる山です。

山頂付近には、おそばやさんやおみやげ物屋さんがありちょっとした天空に浮かぶ集落になっています。写真のおばちゃんは御岳山神社の参道にある宝本店の女将さん。このお店はテレビの「ちい散歩」でも紹介されています。

残雪ののこる早春に御岳山神社を参拝したときにちょっと寄り道。今はなき地井さんもスケッチをした場所でおばあちゃんの似顔絵を描いたところ、お礼に生わさびをいただきました。わさびは御岳山の名物です。家に帰ってお茶漬けにしたら、香ばしくほのかにあまいわさび味を楽しむことができました。

奥黒部

奥黒部の山小屋 平の小屋
奥黒部の山小屋 平の小屋

夏になると北アルプスが恋しくなります。いまから7年ほど前、まだ息子が小学校4年生だったころ北アルプの針の木岳(2,821m)を一緒に登りました。父親の趣味にまだつきあってくれる年頃です。大学1年の夏に登り雪渓とカール地形と高山植物コマクサに魅了された思い出の山です。

また、針ノ木峠は戦国武将佐々成政(さっさなりまさ)が長久手の戦いで勝利した徳川家康に豊臣秀吉との徹底抗戦を進言するため厳冬期に峠越えした舞台としても知られる後立山連峰を代表する山です。

針ノ木岳の山頂から黒四ダムを見下ろすとその湖畔に平の小屋を見つけることができます。かつては越中富山と信州長野へぬけるマタギやイワナ漁師、商人が利用した山岳古道の一つでした。

今日のスケッチは黒部の谷底にある平の小屋から紺碧の空をながめている様子。まったく外界とは隔絶された別世界です。一泊してさらに黒部川の上流へと計画していましたが、湖畔でイワナ釣りや日長周囲の山をスケッチしていたらあっという間に一週間が過ぎてしまいました。

大宰府天満宮

大宰府天満宮
大宰府天満宮

天神様でおなじみの太宰府天満宮。早朝に参拝に訪れてみるとすがすがしい空気で満ちています。小学生の男の子がお父さんといっしょに日課の参拝でしょうか「おはようございます!」と見ず知らずのわたしたちにあいさつしてきます。思わず感心してしまいました。

今から40年以上前、千葉の田舎では夏休みに「テンジンコ」という行事がありました。近所の神社に小学生だけが集まって勉強をします。参加する子どもはお米を1合持参し当番の子の家に預けておくのが習わしです。

神社のとなりの小さな公民館の座敷で勉強やふざけっこをしているとお昼のサイレンが聞こえてきます。お米を預けておいた家に行くと、広間に座敷テーブルが準備してあり、そこには人数分のカレーライスが並んでいます。朝もってきたお米がカレーに変身しています。

お昼を食べた後はひたすら遊びます。夜には肝試しや花火と勉強の記憶はほとんどありません。だいぶ後になってこの「テンジンコ」といっていた行事は「天神講(てんじんこう)」であることを知ります。学問の神様にあやかっての子どもたちだけの夏の小さなお祭りです。いまでもこの行事は残っているのでしょうか?気になります。

武甲山

日本200名山の武甲山
日本200名山の武甲山

このスケッチは秩父神社のご神体、武甲山(ぶこうさん)の姿です。去年の今頃描いた絵ですが、今から35年以上前の中学生の時には油絵で描いた記憶があります。孤高の山容は絵の格好の題材です。

秩父セメントが石灰岩を採掘するので武甲山は年々低くなってゆき痛々しい限りです。日本の近代化をまさに身を削ってを支えた山です。

秩父神社を訪れてみると、なぜか若者の参拝者が目立ちます。絵馬もアニメのキャラクター。なんでも秩父神社界隈がアニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の舞台だったことからファンの人たちの聖地となってしまったそうです。

「命を吹き込む」というのがアニメの語源。ご神体である武甲山のセメントでできた都市に育った子どもたちがアニメで再発見された秩父を聖地として訪れる。うーん秩父の神々は偉大です。

 

ご来光

常念岳と雲海
常念岳と雲海

日本人はご来光が大好きです。以前イギリス人とインドネシア人の友人を連れて富士山に登ったとき、その目的が「ご来光を拝むこと」だということをだれも理解できませんでした。夜中に雨と霧のなか懐中電灯をてらしながらの富士登山、ぜんぜん楽しくありません。

9合目を過ぎ雲の上に出ると、突然満天の星空が広がり、東の空にオレンジ色の光が満ちてきます。しばらくすると雲海から朝日が静かに昇りはじめます。友人たちはその光景にしばらく呆然と見とれています。そしてなぜ富士山に登るのかその意味をなんとなく理解したようです。

このスケッチは北アルプス穂高岳山荘(長野県2983m)から常念岳をバックに朝日が昇る直前の様子を描いたものです。刻々と空の色は変化していきます。

365日毎日繰り返されているのですが山の上からの日の出はとても荘厳な気持ちになります。日本人のご来光好きが、もとは修験道などの古代の山岳信仰と太陽神アマテラス崇拝がその根っこにあるという認識は最近までまったくありませんでした。。。なるほど日本は太陽神と女神信仰の国だったんですね。

戸隠山

天の岩戸伝説の戸隠山
天の岩戸伝説の戸隠山

長野県の戸隠山は天の岩戸伝説の山です。その険しさと猛々しさは奈良のなだらかな山容の三輪山とは対照的です。奥社へ向かう巨大な杉並木の参道が静かに参拝者を見守ります。その戸隠神社の奥社から頂を望んだとき、この山の持つ神々しさを実感することができます。

背後にそびえる北アルプスに比べて決して高くはありませんがその姿は存在感があります。戸隠神社は修験道の寺と宿坊で発展し、明治以降は神仏分離により神社となるなど時代の流れで呼び名は変わりますが、古代の人々が聖別し大切にしてきた場所であることには変わりありません。

日本の神道には聖書や仏典のようなテキストがありません。どうやって太古の記憶を保存してきたのでしょうか?それは「場」であり、その「場」に住みながら毎年祭りでその記憶を伝えてゆく人々の存在が不可欠なんだなとあらためて発見した次第です。